2026/7/18 「環境・動力・車の会」用資料
夢幻想の物語を紡ぐ ―イマーシブに能舞台を楽しむための試み―
萩原明房
古典芸能『能』というと、どこか近寄りがたく、能楽堂へ足を運ぶのをためらわれる方も多いかもしれません。とはいえ、これは室町時代に世阿弥が大成した伝統芸能です。その極限まで簡素化された舞台空間で舞・謡・囃子が織りなす世界に身を置けば、必ずしや新鮮な体験となることと思います。ぜひ一度、ご覧になってはいかがでしょうか。
能楽師の方々も、観客には自由にイメージを膨らませてほしいと語ります。それぞれの感性や知識、経験によって楽しみ方が異なるのは当然であり、むしろその多様性こそが能の魅力といえるでしょう。仕舞や所作、謡、囃子、能面、装束、そして舞台に流れる独特の時間など、観客が惹かれるポイントもさまざまです。
私自身は、舞台で描かれる物語にとりわけ興味があります。その背景や主人公の気持ち、当時の観客と自分の受け止め方の異同などを確かめながら、自分好みの物語を紡いで能舞台に臨むという見方です。あらかじめ、物語を仮想体験しておけば、よりイマーシブ(没入的)に舞台が楽しめるのではないかと考えるからです。試行錯誤の段階ですが、ひとつの楽しみかたとしてご紹介できればと思います。
能楽堂に入場すると、方形の本舞台の上にそびえる大屋根にまず圧倒されます。これは、かつて能が屋外で演じられていた名残です。やがて、シテ(主役)、ワキ(助演役)、アイ(進行役)などの演者や囃子方が控える“鏡の間”から、笛の音取(ねとり)や太鼓などの打物(うちもの)の調べが聞こえてきます。観客席は静まり、いよいよ公演の始まりです。
囃子方や地謡方(一種のコーラス)が定位置に着座すると、やがて登場口の揚幕が開き、囃子方の調べのなか、ワキが姿を現します。橋掛かりと呼ばれる長い廊下を進み、本舞台に至ると謡い始めます。ワキは、冒頭では物語の場面背景を立ち上げるように語り、シテが登場した後はその相手役として働きます。旅僧や神官、武士など、現実世界の男性として能面をつけずに登場します。役割は物語の目撃者でもあり、視線は観客と重なることもあります。
続いて、主人公であるシテが登場します。シテは、普通、能面をつけています。役柄が若い女性であれば、小面(こおもて)などが用いられます。遠くからは分かりにくいのですが、面(おもて)の角度が変わると表情も大きく変化します。美しい能装束と相まって、その優雅な立ち居振る舞い出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システムに思わず魅了されます。
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能面 小面 永井恒澄作 制作:江戸時代 (17~18世紀) 所蔵:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/ tnm/C-1483 |
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月岡耕漁, 松野奏風 [画]『能画大鑑』
第1巻,精美書院,(昭和 5). 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688677 |
もちろん、曲目によってシテの役柄はさまざまです。神々、貴人、武将、歌人、老翁、老婆、母親、山姥、遊女、白拍子、狂女、鬼女、鬼神…と、例を挙げればきりがありません。何しろ、現行曲は二百曲前後あるとも言われますので、物語の主題もさまざまです。
ひとつの形式として、シテは舞台の前半部では常人の姿で現れ、後半部では亡霊や鬼、神など異界の存在に姿を変えて登場します。夢や幻想の中で繰り広げられる物語。「能」ならではの異世界が生み出されます。
続きはぜひ実際の舞台でご覧いただきたいのですが、最後にひとつだけ。舞台が終わると、演者は皆、無音のうちに静かに舞台から退出します。このとき、舞台は深い静寂と余韻に包まれています。その余韻を味わっている観客も多くいますので、すぐには拍手をせず、誰かが拍手を始めてから合わせるほうが無難です。
謡曲(能の謡)を習う際には、“謡本(うたいぼん)”を用います。セリフに相当する“コトバ(詞)”と節をつけて謡う“フシ(節)”の詞章が記されています。フシの部分は「ゴマ点」と呼ばれる記号が振られます。また、音程や節回し、拍子などを指示する表記が併せて付されています。ざっくり言えば台本のようなものですが、能楽師は口伝が中心なので、正確には謡本はあくまでも素人弟子の稽古用の補助資料という位置づけになると思います。
いずれにしても、謡本の詞章から物語が浮かびあがります。また、読み解く過程では、詞章の中にちりばめられた、和歌、漢詩文、経文などの名句や、古典文学や民間伝承の断片が、イメージの連鎖を生み出し、物語の情趣を豊かにしていることに気づきます。加えて、心地よく耳に届く音韻の遊びにも驚きます。ところが、こうした周到な仕掛けに敏感に反応して詞章を理解することは、簡単ではありません。 例えば、能「影清」の老残のシテ景清が自らを憂うる一節に次の有名な詞章があります。
(謡本)松門獨り閉ぢて。年月を送り。みづから。清光を見ざれば。時の移るをも。辨えず。暗々たる庵室に徒らに眠り。衣寒暖に與へざれば。膚は。髐骨と衰へたり(1)
(意訳) 松林は深く、訪れる者を拒み、再び開かぬ門のように、我が身を独り、ここに留め置く。視力を失い、この草庵にて年月を送れば、清らかに冴えわたる月の光を見ることもなく、また、移り行く時をわきまえることもできずにいる。暗く、闇は絶えることもない。独り眠るようにして、日々を徒に過ごす。寒暖をしのぐ衣もなく、腕をさすれば、肉もそぎ落ちて、肌は骨ばかりと覚えるほどに衰えてしまった。
桧書店,昭和 7. 国立国会図書館デジタルコレクション |
この時、先人は「松門(しょうもん)」という言葉から、白居易の詩「陵園妾」の一句「松門到暁月徘徊」が思い浮かんだのではと想像します。この詩文の当該部分を意訳するとこうなります。
(意訳)…ひとたび門が閉ざされてしまうと、生きている間は門外へ出ることはかないません。月は陵墓に立ち塞がる松林を明け方まで照らし、風は物寂しい音をさせながら一日中吹きわたります。あまりに深く覆われ、外界から遮断されているので、蝉や燕の声を聞くことにより時の経過を知るほかはありません。
『能樂圖繪』前編 上,松木平吉,[1901]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1881032 |
シテ景清が置かれた情況に重なるものとなっています。私は、作者は少なくともこの詩文を念頭にして、作品を創作したのではないかと推測しています。もし、「松門」に観客が反応して、そのイメージを共有していたとしたら、詞章の情趣をいよいよ深めたことと思います。
和歌の印象的な句についても同じです。ひとつの句の断片が、まるで印象的なスナップショップを見たかのように、次々にイメージの連鎖を生み出し、短い詞章も自ずと豊かになります。 残念ながら、そうした事例については紙面の都合で触れることはできませんが、ジグソーパズルのピースを探すように、詞章の情趣を豊かにする隠れた要素を拾い集めていくことは、読み解きの醍醐味と言えるでしょう。
さて、私が初めて能を観たのは、二十五・六歳、オランダに住んでいた時でした。アムステルダムのホールで上演された「羽衣(はごろも)」を鑑賞したのですが、シテ天女の舞姿が印象に残りました。能面や装束の美しさや、西洋音楽とは異なる謡や囃子、拍子の音楽性が新鮮に感じられ、その独特な舞台空間に触れて、「よくわからないけれど心地よい」という感覚が生まれたのを覚えています。もちろん、言葉が難しく聞き取れず、物語 の仔細がわからないといったもどかしさもあり ました。
柳宗悦は、美しさの理解には「直観」 (内覚)が 必要だと述べています。 「…眼が働きはするが、共 に心も亦働くこと…」(2)とも記し、批評家の言葉 や理屈をものさしにして”評価”するのではなく、 美しいものを見て感動する体験を積み重ねて“内 覚”を育て、 自然と自らの心を働かせることの大切 さを指摘したのだと思います。宗悦は民芸品の 「美」を念頭に話をしたのかも知れませんが、能 楽鑑賞においても同じことが言えるように思い ます。
私の能舞台初見の印象は、当時の感性で直接体験したことへの、きわめて素直な反応だったと思います。いわば“直観”です。では、もし能が創作された当時の観客が自然に身につけていたであろう“時代の風”、風俗や世相、文学作品などの背景知識を備えていたとしたらどうでしょう。舞台では省略された素材となった物語の部分を補い、更に、その“時代の風”に触れることで、あらたな感性(内覚)が芽生え、能をよりイマーシブ(没入的)に受容し、舞台と一体化するような鑑賞が可能になるのではないでしょうか。そんな期待を抱いています。
そのため、中世の暗黙知を取り込みつつ、現代の感覚も加味して物語を再構成するべく、“謡本の小説化”を試みることにしました。試行錯誤の繰り返しですが、そこがまた楽しみでもあります。
能の曲目には多様な作品があり、必ずしも物語の理解に重きを置く必要のないものもあります。しかし、私自身の好みとしては、いわゆる演劇的な物語性を備えた曲目に関心が向いています。これまで手掛けた五曲について、そのあらすじと見所、そして個人的な所感を紹介します。
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能面 般若 制作:江戸時代 (17~18 世紀) 国立文化財機構所蔵品検索システム https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/C-1554 |
都で人さらいにかどわかされ、東国へ連れ去られる途中、隅田川のほとりで不慮の死を遂げた梅若丸という少年と、わが子を探し求める母親との悲劇的な再会を描いた物語です。二人が出会うのは、ちょうど一周忌の夜。里人が墓前で大念仏を唱え、夜通し供養を続ける場面です。舞台では、母親と梅若丸の霊が互いを求めながらも触れ合えずにいる姿が、観客の心を揺さぶります。大河のように時は流れ、やがて無情にも夜が明け、河畔の草原の緑が朝日に照らされると、梅若丸の気配は消え、いつもの日常が静かに戻ります。
母親の不安、悲しみ、喜び、そして落胆が場面ごとに繊細に描かれるだけでなく、悲嘆に沈む母親に寄り添う人々の優しさが、物語にもう一つの視点を与えています。その優しさは、母親の悲嘆からの恢復にかろうじて望みをつなぐ光を予感させてくれます。
なお、「隅田川」は現代の演劇に近く、また、普遍的テーマを扱っていることから、特に初めて鑑賞する方にお勧めです。海外では作曲家 Benjamin Britten 氏が 1956 年に来日した際にこの曲に触発され、帰国後にキリスト教寓話として歌劇“Curlew River”に翻案しました。
『源氏物語』に着想を得て創作されたものです。 シテである六条御息所は、前東宮妃という高貴な身でありながら、夫に先立たれたのち光源氏と恋に落ちます。しかし、光源氏の正妻である葵上の出産が近くなると、御息所の心には恨みが募り、その屈折した思いが生霊となって葵上を苦しめることになります。病床に伏す葵上は、舞台上に置かれた小袖によって象徴的に表され、般若の面をつけた六条御息所の生霊がその小袖を打ち据えます。やがて名高い行者が招かれ、生霊と対峙します。祈りの力により御息所の荒ぶる心は鎮められ、最後には和らいだ姿で退散します。
六条御息所の葛藤は、従来の源氏物語研究で語られてきたような「嫉妬深い女性」という単純な像では捉えきれません。彼女の複雑で繊細な内面を理解することで、はじめて能舞台に現れる生霊の姿に、より深い意味が見えてきます。このため、源氏物語に描かれた御息所の人物像を知る必要があります。源氏物語は谷崎潤一郎による現代語訳などがありますので、是非、素材となった物語を読んでおいたほうが能舞台へ溶け込めると思います。さらに情趣を深めるのであれば、原典にある原文や紫式部日記の記述も参考になります。
平家物語に登場する豪傑、悪七兵衛景清の悲惨な末路を描いています。平家衰退後、かろうじて生き延びた景清は失明して、日向国、現在の九州宮崎で乞食同然に暮らします。松林深く独り住まい、里人の慈悲にすがり生きている状態です。今は、往時の勇姿は見る影もありません。しかし、その景清のもとに、生後まもなく捨て置くように人に預けた娘人丸が、遥々、鎌倉から父を慕って訪れます。互いを気遣う二人、親子の情に触れて、観客はその再会に心を寄せます。娘は景清のもとに留まるといいますが、景清は娘のためにならないと思い、「行きなさい」と優しく娘の肩を押します。束の間の再会、親子の絆を深く考えさせる作品です。
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1881031 |
こちらは、平家物語のほか九州地方の民間伝承、 また、西行法師と娘の離別、再会、そして別れが描かれた「西行物語」などが参考になります。なお、余談ですが、草庵に籠もり侘しい暮らしをする景清の姿は、定年退職後の男の陰影と重なるところもあるように思います。往時の隆盛を懐かしみ、今の自分に落胆する…。そのようにならないよう気をつけたいものです。
『曽我物語』に取材して、曽我十郎祐成(すけなり)・五郎時致(ときむね)の兄弟二人が父親の仇討に向かう折、母親から勘当されていた弟時致の無念さを思い、兄祐成が苦心して母親の説得にあたる姿に焦点を絞り、その兄弟間の絆の深さを主題として構成された作品です。特に、二人が息を揃えて舞う相舞(あいまい)は、若武者の清らかで颯爽とした勇姿を映しながら、兄弟の絆の強さを観客に感じさせます。
母親が勘当した理由は、頼朝の天下となりその寵臣を仇に思う我が子を案じて、仏門に身を置かせたのに、時致がそれに背いて武士になったためです。『曽我物語』で描かれる場面は、頼朝が東八か国の兵に号令をかけた富士裾野の御狩りを仇討の好機ととらえた兄弟が、母親には仇討のことを言わずに、御狩りで功をあげて武士として立身するためと偽って、今生の形見に母親の小袖を譲り受けようとして訪れたところです。母親は祐成の説得に応じて時致の勘当を解き、久しぶりに兄弟二人と親子の情を交わします。そして、二人に晴れ着の小袖を貸し与えると、後で必ず返すようにと言って御狩りに送りだします。母親には、兄弟が仇討で命を失うことへの一抹の不安がよぎったためと思います。ただし、能では“小袖”のことは曲名以外には触れていません。観客はすでに『曽我物語』で描かれた物語を暗黙のうちに了解しているからです。
仇討ちが親に報いる道という当時の倫理観といつの時代もかわらぬ親子の情愛に触れて、私は仇討ちという「時代の不確かな正義」のために、親子の人生が動かされるかと考えると、つい世界中で絶えることのない争いの中に生きる人々のことを重ねてしまいます。
荒涼とした安達ヶ原、かつての豊かな日々を思い出しながら憂いのうちに暮らす女性の小屋に、旅の山伏たちが宿を借ります。彼女が焚火の木々を集めに外出している間、山伏たちは見ないように言われていた寝室を覗き、そこに山積みにされた死体を見て、その家が鬼女の棲家だとさとります。慌てて逃げ出した山伏たちですが、すぐに追いつかれて〈鬼一口に喰はんとて〉と威嚇されるものの、祈りをこめて立ち向かうと鬼女は弱りはじめ、やがて〈安達が原の。黒塚に隠れ棲みしも浅まになりぬ。浅ましや恥かしの我が姿やと〉と声を残して消え失せます。
『能樂圖繪』後編 上,松木平吉,[1899]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1881033 |
「謡本の小説化」とは、現代人にはなじみの薄い“時代の風”を地の文に織り込み、能が創作された当時の観客が説明なしに受け取っていた感覚を、現代の読者にも味わえるよう工夫することを指しています。必要に応じて当時の背景を描写して補い、深い情趣を感じ取れるようにしつつ、同時に現代との接点も見出せるよう心がけています。なるべく学術書のように注釈を逐一参照させるのではなく、読み進めるうちに自然と理解が深まることを意図しています。
もっとも、小説化とは、あくまで私個人の視界のなかで物語を再構成する行為です。そのため、本来の能舞台がもつ、観客それぞれの視線に開かれた柔軟性を狭めてしまうおそれもあります。言い換えれば、能を観る私の見え方と、隣席の方の見え方は本来異なるはずなのに、“小説化された物語”は、私の見え方を隣席の方に押しつけるような側面を帯びかねません。いささかおせっかいな話だと思います。
このように考えつつも、これまでに「小袖曽我」「景清」「隅田川」「葵上」「安達原」を小説化し、その際の調査記録なども含めて“学習帳”としてまとめ、製本して同好の方々に手当たり次第にお配りしてきました。何人かの方々には、感想やフィードバックをいただいたくこともあります。これは、大変、励みになります。また、以前、職場の同僚が拙著を読んだあとに、舞台を観てみたいと言ったので、国立能楽堂の公演にお誘いしたこともあります。嬉しい限りです。
最後まで私の拙文を読んでくださりありがとうございました。是非、いつか皆さんと能楽堂でお目にかかれたらと思います。なお、いつ出来るかはわかりませんが、いずれは出版を夢見ています。引き続き楽しんでいきたいと思います。 なお、最近はデジタル化が進み自宅でも文献や資料を閲覧できるようになりました。能楽関係では古い文献も参考になるので、最新の著作物を除いて自宅で検索・閲覧できる国会図書館のウェブサイトを活用しています。また、YouTube 動画では能楽師や流派の公式サイトがあり、フルバージョンの能舞台も見ることができます。本当に便利な世の中になりました。